お前、今何処に居んだよ」

電話越しに、向日の擦れた声が聞こえた。
「何処って家に決まってんじゃん」
「何やってんだよ。お前知らないのかよ。宍戸が。宍戸が」
「なに。宍戸が何」
「何処にも居ないんだよ」
その瞬間、あたしは走り出していた。携帯も持っていたシャーペンも明日までに提出の課題も全部全部投げ捨てて。馬鹿みたいに嫌な予感がした。高まる心臓音(亮がいない)(まさか。)(嘘だ)(嘘だ)外は雨が降っていた。ばしゃ、ばしゃ、ばしゃと音がする。あたし、今走ってるんだ。感覚がない。ただひたすら、走らなきゃ。亮の元に。がむしゃらに走り続けて、走り続けて、走り続けて、角を曲がって横断歩道を走る。信号は赤だったけど、車も人もなにも通ってない。ただただ走る。この世に1人、あたしだけみたいだ。ジーンズが水を吸収してびしゃびしゃと音が鳴る。それでも狂ったみたいに走り続けて最後の角を曲がる。此処が、亮の家。インターホンを何回も連続で押すけれど、やっぱり反応はない。―本格的に、嫌な予感がした。門を開けて玄関の扉を引いてみる。すると、いとも簡単に扉は開いた。どんくんどくんと鼓動を打つ胸を握り締め、音を立てないように亮の家へ入り廊下を歩く。――生臭い、匂い。あたしはこの匂いを嗅いだ事がある。生理の、匂いだ。つまりは血の匂い。心臓は更に激しさを増す。ゆっくり、ゆっくりとあたしはリビングの扉を開けた。
「――、」
ぐったりとソファーに横たわっている、黒い短髪の彼。顔を見なくたって分かるに決まってる。彼がうつ伏せになっているソファーからは血がぽたりぽたりと流れ落ちる。その血をみた瞬間、あたしの中で何かが壊れた。殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる。生まれてこんなに殺意を感じたのは初めてだ。亮みたいに、いや、亮以上にしてやる。リビングの隣りの和室を睨めば、そこには凄い形相をした”ソイツ”がいた。お前が、亮を殺したんだ。あたしは血で濡れた床に落ちているナイフを手に取ると、ソイツの元へと走っていく。がしゃりがしゃり。ぐしゃりぐしゃり。あたしのナイフは”ソイツ”の腹に埋まっていく。それでもソイツは倒れる気配がなく、狂ったような瞳をこちらに向けている。許さない。お前が、殺したんだ。何度も何度もその行為を続けていると、あたしの視界は急に真っ暗になる。どうして。まだアイツを殺してないのに。苦しくて苦しくて血を吐きながらも自分の心臓に手を当ててみると、そこにはアイツに刺した筈のナイフが深く埋まっていた。遠のく意識の中、最後に呟いた言葉は「ごめんなさい」


「う、わ」沈まりかけた体を慌てて起こす。どうやらあたしはいつのまにか寝てしまったらしい。そう思えば、なんだか頭がくらくらする。入りすぎた。のぼせた。重い体をやっとのことで起き上がらせ、やっとのことで湯船から出る。相変わらず頭はガンガンして今にも倒れそうだ。何だか、長い夢でも見ていた気分だ。あたしはそんな事を思いながらもタオルで頭を乱暴に拭く。適当に部屋着に着替えてリビングの机の前に座れば、待っていたのは明日提出の課題。ああ、面倒くさいけれどやらなきゃ。シャーペンを片手に取ると、不意に鳴り出すバイブ音。ヴー、ヴー、ヴー、ヴー。携帯の画面を見れば『向日 岳人』の文字。あたしは一体どうしたのだろう、と思いながらも通話ボタンを押す。