自分が子供じみた態度を取っている。そんなことは重々承知だった。それが分かっているからこそ、さらに自分の幼稚さに苛々してしまう。悪循環の繰り返しだった。 慈朗は自らの手をきつく握り締めた。心の中には怒りや戸惑い、疑問、哀しみといった様々な感情が渦を巻いて、自分をどんどん荒らしていく。 今まで信じてきた友人に、裏切られたとでも言うべきか。 彼との間にあった友情は、自分の一方的なものだったと気づかされたというべきか。 どちらにしろ、とあることが原因でとても部活に出れる心情ではなかった。なので無断で部活に出ずにこうして帰ってきてしまった訳だが。 いつもは楽天家な慈朗だからこそ、今回の件については相当滅入っていた。 「おにいちゃーん!」 背後から聞こえてきた幼い声に振り向くと、そこには三瑚との姿があった。三瑚は兄の存在を確認すると、一目散に走り寄ってくる。買い物にでも行ったのだろう。の手には近くのコンビニの袋が握られていた。 「おにいちゃん、はやいね!」 「うん、ちょっとな。三瑚はどこに行ってたんだ?」 「おねーちゃんとね、あいす買いに行ってたの!まだあったかくないのに、あいす食べたらおなかこわしちゃうよって言われたけどね、おねがいしたら、ままがいいよ、って!」 「そっか、よかったな」 目を輝かせながら言葉を紡ぐ三瑚の頭にぽすんと手を載せ、そのまま家へと入る。三瑚には悪いが、今は構ってあげる程の余裕はなさそうだった。 玄関にテニスバックを置いて、ソファーに横たわる。しんとした空気が心地よかった。 * * * 三瑚ちゃんとおやつを買いに行った帰り道。角を曲がると、前を歩いていたのはきらきらと光る黄色の髪の毛の持ち主。 「あ、慈朗くんだ」 「え、おにいちゃん?どこー!?」 「ほら、前にいるの。違うかなあ?」 「おにいちゃーん!」 「あっ、三瑚ちゃん!」 慈朗くんの姿を確認した途端、走り出す三瑚ちゃん。その様子に転んでしまわないかと不安に駆られるが、無事に慈朗くんの元までたどり着けたみたいだ。安心安心。 事の発端は数十分前だ。幼稚園から帰宅した三瑚ちゃんが、なぜか急に「アイス食べたい!」と騒ぎ出したのだった。 まだ季節じゃないわよ、三瑚。それお腹壊したらどうするの。そう口を辛くして三瑚ちゃんに牽制をかけた優子さんだったが、三瑚ちゃんの「だいじょうぶだもん」という言葉に押されたらしく、今日だけよ、とアイスを食べることを許可したのだ。 たいていのお菓子なら揃っているんじゃないか。そう思わせる芥川家だが、さすがにアイスはないらしい。 ということで、休憩がてらに優子さんに代わって私が三瑚ちゃんとコンビニへ向かったのだった。 前方を見れば、三瑚ちゃんが満面の笑みで慈朗くんに話しかけているところだった。それに慈朗くんは2、3言返し、三瑚ちゃんの頭にぽすん、と手をおくとそのまま家に入ってしまった。 「(・・慈朗くん、ちょっと元気ない?)」 いつもなら三瑚ちゃんを抱き上げてくすぐったりする慈朗くんが、なんだか今日はそっけなかった。しかもいつもならこの時間帯は部活の筈だが――どうかしたのだろうか。 同じ疑問を持ったのか、三瑚ちゃんも頭の上にはてなマークを浮かべている。 「三瑚ちゃん、溶けちゃう前にアイス食べようか」 「んー・・うん!」 「よし、こっちおいで」 再び三瑚ちゃんと手を繋ぎ、少し離れたお店の方へと足を進める。 ・・慈朗くん、大丈夫かな。私の思い過ごしだといいんだけど。 そして数十分後。三瑚ちゃんがアイスを食べ終えた頃、優子さんがクッキーと紅茶を持って私たちの元へやってきた。どうやら私たちが買い物に行ってた頃から作ってくれていたらしい!さすが優子さんだ! 「あれ、そういえば慈朗くん帰ってきてましたね」 「本当?おかしいわねぇ・・部活はどうしたのかしら」 「休みだったんですかね?」 「かしらね。高校に入ってからあの子一回も部活休んでないのよ。だったらちゃん、クッキーと紅茶、慈朗にも持っていってあげてくれないかな。そのまま休憩してていいから」 「お安い御用ですよ!・・でも、休憩そんなにもらっちゃって良いんですか?」 「いいよいいよ、今日はお客さん少ないから、もう仕事も終わりそうなの」 「そうなんですかー・・分かりました!」 にっこりと笑う優子さんから、お皿に乗っていたクッキーを半分別のお皿に移してもらい、それと紅茶を持って母屋へと向かう。 優子さんお手製のクッキーはもう絶品ものだ。普通に売り物にも劣らない美味しさだし、手作り感がなんともいえなくて、とにかくすっごく美味しいのだ! そんな優子さんのクッキーは私の大好物でもある。三瑚ちゃんの大好物でもある。それと同時に、慈朗くんの大好物でもあるのだ。 「入りますよー」 両手がふさがっているためノックは出来ないので、少し大きめに声を出して母屋の扉を開ける。慈朗くんは、どこだろう。リビングにいると思ったんだけどいないみたいだ。となると、自分の部屋にいるのかな。呼んでこよう。 クッキーと紅茶をテーブルに置くため、リビングの奥の方へ進む。――すると、ソファーから見える金色のふわふわ。・・慈朗くんだ。 クッキーと紅茶をテーブルに置き、慈朗くんの正面へと向かう。慈朗くんは手を握り締めて、丸まって寝ていた。私が膝立ちになって慈朗くんに呼びかければ、長い睫毛がかすかに揺れる。あれ、この構図見たことある気がするんだけど・・俗に言う、デジャヴ? 「慈朗くん、慈朗くん」 「・・・・ん、」 「クッキーと紅茶持ってきたよ」 「・・・・・、ちゃん」 「はい、ですよ」 薄く開かれた瞳が私を捉える。慈朗くんは目をこすると、ゆっくりと起き上がってぼんやりとクッキーを見つめた。そしてその隣に私は腰を下ろした。 「優子さんが作ってくれたんだよ。慈朗くんにって」 「・・ん、そっか。ありがと」 そう言って慈朗くんはそっと笑う。・・いつもの慈朗くんと、なんだか違う気がする。彼はもっと無邪気に笑うというか・・なんていうんだろう、なんだか今日の笑顔は無理して作っている気がする。・・違うかな? 「やっぱり美味しいよね、このクッキーと紅茶」 「だねー、俺これさえあれば生きていけるよー」 そういいつつも、慈朗くんの手は中々進まない。 やっぱり、元気ない。 「・・慈朗くん、どうしたの?なんだか元気ないね」 「えー、そうかなあ」 「勘違いだったらごめんね。なんだか、無理してるように見えたから」 なるべく重くならないようにと、すとんと言葉を落とす。そしてクッキーを一口。うーん、やっぱり美味しいなあ! 紅茶を飲みながら、隣に座る慈朗くんをそっと見やる。私の視線に気づいたのか、慈朗くんは「あー」と息を吐きながら後ろへとよっかかった。 「他の誰が悪い訳でもない。多分・・悪いのは俺、なんだ」 慈朗くんが、ぽつりぽつりと言葉を漏らす。私はクッキーを取る手を止めて、静かにその話に耳を傾ける。 やっぱり元気ないの、当たってたんだ。よかった。――いやいや、元気ないのはよくない。でも、気づけて良かった。そんな風に思いながら。 「たくさん伝えたいことがあるのに、その方法が――分からないんだ」 その言葉から、慈朗くんの悔しさが漂う。 彼はゆっくりと体を起こすと、そのまま俯いた。 「考えれば考える程、分からなくなる。結局いつだって、時間が解決してくれるのに頼りっきりなんだ。こんなのもう、やめたいのに」 ひとつひとつ、確実な言葉を探していくように、慈朗くんはそっと言葉を紡ぐ。それに答えるように、私も確実な言葉を探す。彼を傷つけることのないように。かといって、同情や哀れみの言葉にはならないように。 「私は・・時間が一番の相談相手だと思うんだ」 ”時間が解決してくれる”・・この台詞はきっと、問題とちゃんと向き合った人たちの言葉なのだ。 「だから慈朗くんは、なにも間違ったことはしてないよ」 「方法なんて、なんだっていい。とにかくぶつからないと、なにも始まらない。一生に一度の人生なんだから――後悔なんてしたくない」 考えれば考える程、分からなくなる。それはきっと誰だって同じだ。 自分が随分と綺麗な考え方をしている、と自己嫌悪に陥ることだってあるし、色んなことに気づいて落胆することだってある。――やっぱり今は、難しいことは分からないけれど。 「私はそう思って、生きてきました」 慈朗くんは俯いたまま何か言いたそうに口を開いたが、言葉が発せられることはなく、唇を噛みしめた。 そのまま慈朗くんが俯いていたから、私もなにも言わずに隣に座っていた。窓から入る陽は、オレンジ色に変わろうとしていた。 それからどのくらいの時間が経ったのだろう。カラスが1匹鳴いた頃に、慈朗くんはそっと顔をあげて、力なく微笑んで静かに言った。 「ありがとう」、と。 BACK ↑ NEXT |