千鳥

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  06  



「なぁに、名乗る程のモンじゃぁ、ありませんぜ」
「ふふ、それじゃあ貴方をなんて呼んだら良いのか分かりません」
「私は・・ただの、薬売り・・です、よ」


何だその答えは、と笑いながら「薬売りさん?」と呼べば「お呼びで?」と彼は返答した。それにまた緩い笑いがふきあげて喉を鳴らす。楽しい人だなあ、薬売りさん。


「さて、私は名乗りましたよ」


あえてその言葉の先を言わず、彼は私に顔を傾ける。


「私の名前は――」


現実とか、夢なんて、関係ない。あっちの世界も・・この世界も、私にとっては”本当”だ。誰が何と言おうと、それだけはもう変わらない。



この世界は、本物だ。




「――、」


名前を告げようとした時だった。いきなり世界が暗転して白の世界から黒の世界へと塗り替えられていく。まるでそれは穴に落ちてっている様で、なんとも言えない浮遊感が気持ち悪い。
突然のことに吃驚して受身もなにも取れない。いや、底があるか分からないので受身を取る必要もないのかもしれないが。


『千鳥、私の千鳥』


この事態に不安を覚えていると、どこからか声が聞こえてきた。辺りに木霊していて頭に響く声だ。思わず耳を塞ぎ、目を固く瞑る。怖い。一体、此処は何処だと言うのだ。彼は、薬売りさんはどこに行ってしまったのだろう。


『怖がらなくても良いんだ。私の千鳥。待っていたよ』


うるさい、誰だ。どっか行ってしまえ。私を帰してくれ。


『君が疑いもなくこの世界を望むことを、ずっと待っていた。私を望むことを、ずっと闇で待っていた』


貴方なんて望んでいない。私が望んだのは彼との白の世界で、こんな真っ暗な闇の世界じゃない。


『千鳥、私の可愛い千鳥。可愛いくて、小さくて、可哀想な千鳥』


耳を更にキツく押さえるけれどその声は難なく頭に響いてくる。その痛みは到底夢とは思えなくて、私はただ我慢するしかなかった。


『可哀想な千鳥には言霊をあげよう。千鳥が心から信じるものは、全て真実となる』


コトダマ?そんなもの要らない。早く、帰して。彼の元に、帰して!


『少しでも疑うのならば、それは夢幻だ。・・ああ、もう時間の様だね』


彼のその言葉と共に頭の中に響く声量がどんどん増していく。今にも頭が割れそうだ。痛みに悶えながら薄く目を開くと、私の指先が粒子になって闇へ溶けていってるのが見えた。
とてつもない恐怖に襲われる。私の体が、どんどん消えていく。


『――大丈夫、私の千鳥。また会える』


その言葉と共に、私の意識は途切れた。


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