家に到着し、早速夕食の準備を始める。忍足さんは家で食べるか分からないから、とりあえず1人分の材料を確認する。 忍足さん、かっこよかったな。足が速くて、何よりフォームが綺麗だった。忍足さんは容姿もいいし性格もいいし、勉強も出来るし・・きっと学校でも人気があるんだろう。 慈郎くんだってそうだ。女の子と見間違うほどの可愛らしい容貌を持ち合わせているのに運動神経が抜群。このギャップは女の子には堪らないだろう。現に今日私も少しときめいてしまったなんて、そんなのは絶対に内緒だ。とにかく内緒だ。 トゥルルルル トゥルルルル 野菜を切ろうとして冷蔵庫をあさっていると突然リビングの電話が鳴り響いた。きっと忍足さんだろう。 慌てて手を洗ってハンドタオルで拭き、急いで受話器を手に取った。 「はい、もしもし。忍足ですけど」 『、俺や。侑士や』 「ああ、忍足さん。体育祭お疲れ様でした」 やっぱり忍足さんだった。 受話器の奥の方からはなにやら賑やかな声が聞こえる。忍足さんのクラスメイト達の声だろうか。 なんだか羨ましくなって、少し拗ねた気分になって、受話器のコードをくるくると指に巻きつけた。 『おおきに!おかげで準優勝やったわ!まあ帰ったら詳しく話すな』 「わあ、おめでとうございます!楽しみにしてますね」 結局忍足さんのチームは2位だったのか。じゃあ1位は慈郎くんのチームかな。それとも青年のチームだろうか。どちらにしろ接戦だったなあ。 『そいでな・・今日真っ直ぐ帰るつもりやったんだけど、打ち上げ、先輩に無理矢理連れてかれそうなんや』 「ああ、全然平気ですよ!打ち上げいいなあ。お土産よろしくお願いしますね」 胸の中に渦巻く感情を、必死に押さえ込みながら返事をする。なるべく、明るく聞こえるように。 『はは、打ち上げでお土産ってなんやねん』 「お任せします。あ、ケーキワンホールでも良いですよ」 『分かった。考慮しとくわ』 「楽しみに待ってます」 『ほんま、悪いな。なるべくはよ帰る』 「いいですよ。打ち上げ楽しんできてください」 『ん。おおきにな』 そして静かに電話は切れた。指に巻きついたコードをそっと離す。 受話器の向こう側からは楽しそうな声始終聞こえた。 別に、僻んでる訳じゃない。打ち上げに行く忍足さんにイライラしてる訳でもない。打ち上げに行くのは当たり前のことだろうし、そこにはなんの非もないのだ。 じゃあ、この苦しさはなんだろうか。苦くて苦くて、吐き出してしまいそうになる。今まで気づかないふりをしていたのだろうか。一人ぼっちになったときに襲ってくる、例えようのないこの痛みを。 私の家族、私の友達。 みんなは、元気だろうか。 ソファーに座ってきゅ、と目をつぶる。涙が溢れてきそうだったので慌てて目を手で覆った。 ホームシック。 多分この言葉がしっくりくるんだと思う。 この世界に来て1ヵ月位だろうか。ようやく慣れてきて、これが現実だと認識して。そして、向こうの世界にはもう帰れないということを実感した。多分私は、もう帰れない。 向こうの世界での私はどうなっているんだろうか。 いきなり失踪して警察に捜されてる?両親や友達は心配してる?それとも自殺でもしてことになってるのかな。果てには私の存在自体なかったことにされてはいないだろうか。 寂しくてしょうがない。くだらない言い合いをしていたあの頃がどんなに幸せだったのか思い知る。 お母さんに反抗して、怒られて、お父さんにくだらない親父ギャグとかを聞かされて。 平凡だな。つまらないな。と思っていた日々の奥底には絶対的な安心感があった。 それが穴が空いたようにぽっかりとなくなってしまって、寂しい。 別にこの世界に不満がある訳ではないのだ。忍足さんも優子さんも私に良くしてくれるし。 ただ、ホームシックなだけで。一時的なものだから、きっとこの不安定な感情はすぐに治る。 私は深い眠りに落ちるように、ゆっくりと意識を手放した。 * * * 「ただいまー」 そっと帰宅の挨拶を口にするが返事はない。はもう寝てしまったのだろう。少し悪いことをしてしまった、と罪悪感が胸の奥に積もった。 リビングの明かりはついているが、これは帰ってくる俺へのの気遣いだろう。 1ヵ月前だろうか。『』が自分の家へやってきたのは。腕の痺れを感じて目を開けてみれば、そこに映ったのは今最も自分が熱中している人物『』。ハマってしまった経緯を説明するととても長くなってしまうので省略するが、とにかく彼女は自分の中の天使だと公言することができる。 とにかく、びっくりした。そしてじょじょにこれが『トリップ』というやつだろうかと理解していく。完全に頭が目覚めた時には洗面所へダッシュ。顔と頭にに熱が集中して破裂しそうだった。とりあえず落ち着かせる為に顔を水で洗う。 それから少し無理矢理だったが彼女を自分の家に住まわせ、今に至る。 はこちらでの生活に初めは戸惑っていたようだったが、その戸惑いさえも俺には萌――――可愛らしく、思えた。 とくに夕食を作って待ってくれた時は思わず・・・いや、何でもない。 とにかく俺は前よりもさらに『』に興味を惹かれていた。ふとした仕草にも思わず息を飲む程に。 今日の体育祭だって、本当は見に来てほしかった。自分のかっこいいところを少しでも見てほしかった。 けれど・・もし自分の友人達と仲良くなってしまったら、と考えると・・なんというか複雑な気持ちになる。みにくいだろうけど、嫉妬っていうやつだと思う。 「――?」 ソファーでうずくまって寝ている小さな影を発見した。 覗き込んでみるとすやすやと息を立てて静かに眠っている。 ・・・・・・・・・可愛い。 しかしこんなところで寝ていては風邪を引いてしまう。 の体を軽く揺さぶると、は薄く目を開いて俺をぼんやりとした視線で見つめた。 「おしたり、さん・・」 寝ぼけているのか、舌ったらずなその口調が酷く愛らしい。 「ん。遅くなってもうた。ごめんな。こんなところで寝てたら風邪引くで」 「ん・・」 小さく声を漏らし、は俺のシャツの袖をきゅ、と掴んだ。 ・・・・・・・・・・・・・・・・。 仕方がないのでソファーのすぐ横の床に腰を下ろした。 しばらくそうしていると、がそっと言葉を呟いた。 「さびしい、です」 「・・ん?」 「あんまりひとりに、しちゃいや」 彼女らしくない。どうしたんだろうかとおそるおそる彼女を振り向くと、相変わらず彼女の瞳は眠たそうにとろんとしていた。 「・・うそ」 「・・」 「うそ、です。わがままいってごめんなさい」 「・・」 今の彼女は、すごく不安定だ。揺れていて、壊れてしまいそうな雰囲気をひしひしと感じる。 きっと寂しさや不安でいっぱいなのだろう。そういう感情は、1人っきりになった時に急に襲ってくることがあるから。 「」 ぐっと彼女の腕を引いて彼女の上半身を抱きしめる。無抵抗な彼女は俺の肩口に顔を埋めるようにして俺に体を委ねている。 「の家は、ここ」 幼い子に言い聞かせるようにそっと耳元で囁く。 彼女の髪をくしゃりと撫でると、小さく彼女の肩が揺れた。 「俺はの家族や。安心しい」 ぎゅ、と彼女を抱きしめる。 「・・ありがとう、忍足さん」 すると彼女の手もおそるおそる俺の背中へ回された。 BACK ↑ NEXT |