・・ちょっと待て、1回落ち着こうか。

今の状況を説明しよう。
私はソファーの上に寝転がっている。忍足さんはその隣の床で眠っている。私の体には布団が。忍足さんの体には薄いタオルケットがかかっている。
そして、私の右手はごつごつ、ほねほねした長い指に包まれている。うん、紛れもなく忍足さんの手ですね。

・・・。


「(な、何をしでかしたんだ私!!)」


うおおお、うおおおと悶えながらも忍足さんを起こさない様に小さくもがく。
何をしたんだ昨日の私!ソファーに寝ているのは、まあ昨日あのまま寝てしまったということで片付く。――問題は私の横ですやすやと眠っている忍足さんとその左手だ!

どう記憶を掘り起こしても思い当たる節には行き届かない。うっすらと忍足さんに抱きしめてもらった様な気がするのだが、それはありえないだろう。うん。


「ん・・」
「!?」


右手を一瞬きゅ、と弱弱しく握られる。忍足さんの目がゆっくり、そして薄く開いた。


「・・・」
「・・、・・」


忍足さんは空いている右手で自分の髪を掻き揚げる。
その怖いくらいに整った忍足さんの顔を朝日が照らす。眼鏡をかけていない忍足さんの瞳は涼しげで、いつもの何倍も大人っぽく見えた。
そして忍足さんは「ふぅ・・」と洒落にならないくらいの色っぽい溜息を落とし、眩しいのか右手で目を覆った。

くそ、朝からえろいぞこの人。

・・なんて、考えていたら。忍足さんの長い指から覗く瞳とばっちり目が合ってしまった。


「・・ん。おはよう」
「はよう、ございます」


そのまま私達の視線はお互いの間にある繋がれた手に移動する。


「・・・」
「・・・」
「「・・っ!!」」

バッ!


離したのはどちらからだっただろうか。多分両方だとは思うが、私は急に気恥ずかしくなってそっぽを向いてしまう。なんだ、この気まずい雰囲気!!それにしても今の手を離す素早さといったらお互い尋常じゃなかったぞ!あの手の動きだけだったら忍者にもなれる気がする!

そっと忍足さんを振り返ると、忍足さんの指から覗く瞳も私を捉える。

そして忍足さんは、静かに口元に綺麗な弧を描いた。





*  *  *





見知った道をもやもやとした足取りで歩く。
あのあと忍足さんに「私、昨日なにかしましたか」と聞いたものの忍足さんは答えてくれなかった。苦笑いしながら「覚えてないんやったらその方がええよ」としか答えてくれないのだ。付け加えて「安心しい、可愛かったで」とにやりと笑われた。眼鏡をかけていない忍足さんは心臓に悪いのだ。それにしても昨日の私よ、一体なにをしたんだ。


「おはようございまーす」
「あら、おはよう」


お店の勝手口から入って優子さんに挨拶を述べる。すると優子さんは綺麗な笑みを浮かべつつ挨拶を返してくれた。
そのまま会話を一通りやりとりし、いつものカウンターの席へ移動する。よし、今日も頑張ろう。

そういえば、今日は忍足さんはお休みの日らしい。体育祭の振り替え休日で学校へ登校は禁止だとかなんだとか。珍しく部活もお休みなので今日は一日中寝てると言っていたっけ。そりゃあ、あんだけ活躍していれば疲れるよね。

ちなみに私が体育祭へお邪魔していたことは見つかっていないみたいだ。忍足さんから体育祭の話を詳しく聞いたのだが、借り人競争について触れた時は本当に心臓が止まるかと思った。
まあ、とにかくバレてはいない様なのでよしとしよう。


「んーちゃんいらっしゃい」


しばらくの間、クリーニングを注文しにきたお客さんや取りに来たお客さんの接客をしたり注文表の確認をしたりしていると、背後から慈郎くんがやってきた。
なるほど、今日は慈郎くんも学校がお休みなのか。


「おはよう慈郎くん。体育祭お疲れ様」
「ありがとー。おかげで優勝だったぜー」


にひひ、と笑いながら慈朗くんはVサインを作て私に見せた。
そしてそのまま慈朗くんは私の隣へと腰をかける。


「まじまじ楽しかったー」
「いいね。慈朗くん何に出たの?」
「んと、大縄でしょ、あと騎馬戦、棒倒し、クラスリレー、そんで選抜――あ。」


慈朗くんの動きが止まる。なんだなんだと彼の顔を覗き込むと、彼はきょとんとした顔で私に爆弾発言をお見舞いしてくれた。


ちゃん、もしかして昨日来てなかった?」


ぎゃ!なんで知っているんだ!


「俺の勘違いかもしれないんだけどね、選抜リレー走ってる時にちゃんの声が聞こえた気がしたんだー」


聞こえてたのか!!
慈朗くん・・おそるべし聴力だ。きっとこれは地獄耳に違いないぞ。

どうしよう。慈朗くんには体育祭に行っていたことを言ってもいいだろうか。慈朗くんは私が忍足さんの家にお世話になっていることは知らないだろうし・・言っても、害はないかな?・・大丈夫だよね。


「うん、実は知り合いが氷帝学園に通っててね。見に行ったんだ」
「やっぱり!おれちゃんがここに居る筈がないって思ったんだけどさ!よかったー!」
「私も慈朗くん見つけてびっくりした!慈朗くんすっごい速かったね」


あの速さは中々お目にかかれないものだと思うぞ。学年に2,3人いるかいないか位の速さの気がする。青年もすっごい速かったなあ。もちろん忍足さんも速かったけれど。


「にしし、俺ね、ちゃんの声が聞こえたからすげー頑張ったんだ!」


そう言って慈朗くんはにかっと笑った。


おねえちゃん、おねえちゃん!」


後ろからよちよち歩いてくるのは三瑚ちゃん。あれ、この時間帯は幼稚園にいってる筈じゃなかったかな?
とりあえず、三瑚ちゃんがだっこだっことせがむので膝の上に乗せる。


「三瑚ちゃん、どうしたの?幼稚園はお休み?」
「うーうん。これからだよ。さんご、せきがこほんこほんってとまらなかったから、ちょっとねてたの」
「え、大丈夫?」
「大丈夫大丈夫。昨日咳が止まらなかっただけだCー。な、三瑚」
「うん!もうへいき!」


慈朗君がくしゃりと三瑚ちゃんの頭を撫でる。それに三瑚ちゃんが嬉しそうに目を細めてきゃっきゃと笑った。


「ほら三瑚、いらっしゃい!幼稚園に行くわよ。今日は中園先生からぞうさん教わるんでしょ」
「あ!そうだった!あのね、さんご、せんせいからぞうさんおそわるから、できるようになったらおねえちゃんにあげるね」
「ぞうさん・・?」
「折り紙のことだよ」


今いち理解できていない私に、慈朗くんがそっと耳打ちしてくれる。なるほど、折り紙で象さんを折るということか。三瑚ちゃんが象さんの物まねを教わるのかと思った。びっくりしたぞ。


「嬉しいな。楽しみにしてるね」
「うん!」
「三瑚、そろそろ行くわよ」
「はあい」


三瑚ちゃんが優子さんの腕に抱き上げられ、そのさいに三瑚ちゃんが慈朗くんにちょっかいをかける。
すると慈朗くんもにやりと笑い三瑚ちゃんの頭をぐしゃぐしゃにかき混ぜた。三瑚ちゃんの嬉しそうな笑い声が漏れる。それに釣られて私と優子さんも思わず笑ってしまった。

ああ、こっちの世界でも私の居場所はあるのだ。心配することなんてない。現にこうして芥川家の人たちが傍にいてくれている。
忍足さんや、慈朗くん、三瑚ちゃん、それに優子さんの傍はぽかぽかしてて居心地がいい。

この人たちに助けられて私は今ここにいる。感謝してもしきれない存在だ。

いつの日か絶対的な安心感が、この世界にも芽生えるのかもしれない。



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