梅雨というものは苦手だ。

あのじめじめした湿気といい、曇っているのにどこか蒸し暑い気温といい、本当になんとかしてほしいものだ。
私のいた学校では7月からクーラーがつき始めるのだが、それまでの6月の暑さなんかは拷問だった。

極めつけは、どんなに暑くても入れないプール。
これはうちの学校だけかもしれないのだが、気温がどんなに高くても、水温が基準値までいってなければプールは入れない。何故だ、水温が多少冷たくても気温が高ければ自分達は喜んで入るのにと先生に抗議を申し入れたのだが、大体23℃以下の水温で授業をしてしまうと体温の低下が激しく、体調を崩す生徒が数多く現れてしまうらしい。

梅雨というのはよく雨が降るもので。
プールの前日に大雨なんかが降ってしまうと、翌日がどんなに暑くても水温が下がっているため入れなくなってしまうのだ。体育の授業が1時間目だったりすると尚更。午後に授業があるとある程度水温が上がってくるため入れるのだが、運の悪いクラスは湿気むんむんの体育館で授業をすることになってしまう。
その時のイライラといったら測りきれたもんじゃない。それに耐え切れない男子達なんかは休み時間中庭に出て水遊びをしていたっけ。あれは羨ましかったなあ。後でバレて怒られていたけれど。

だけれど雨は好きかもしれない。
友人はみんな嫌がるが、傘に打ち付けられる雨の音とか、いつも見慣れた道を少し変わった風景にさせる水溜りとか、地味に好きだったりするのだ。


こっちの世界でも梅雨がやってきたらしく、今朝見た天気予報では夕方から小雨が降ると言っていた。
それを一緒に見ていた忍足さんは、「小雨なら大丈夫やろ」と傘も持たずに飛び出してしまったのだが。


「(・・これはマズイよね)」


あ、また光った。ちょ、今近くに落ちなかったか?

・・窓を見やれば、見事な雷雨である。

「ちょっと雲行きが怪しくなってきたわね・・これは雷になるねえ。ちゃん、今日は早めにあがっていいわよ」と優子さんに言って帰らせてもらったのが数十分前。
優子さんの言うとおり、ちょうど家に着いた途端雷が鳴り始めた。
ぎりぎりセーフ!なんて思っていたものの、雷はどんどんは激しさを増している。

忍足さん、大丈夫だろうか。
今の時刻は7時半。もうそろそろ駅に着く頃だろう。
学校から駅までは友達の傘に入れてもらったとして、駅から家まではどうするのだろう。
流石にこの大雨の中濡れて走ってきては風を引いてしまう。

ああ、でも忍足さんのことだから誰かに傘を貸してもらっているかもしれない。
――電話を、しようか。
いやいや、忍足さんはきっと嘘をつく。傘を持ってなくても持っていると平気で言うだろう。忍足さんは女の子を雷の中自分のために迎えに来させる様な人ではない。そういうところは強情な人だ。

ええい。迷ってても仕方がない。迎えに行っちゃおう。





*  *  *





両手で傘を持ち、右腕に忍足さんの紺色の傘を引っ掛ける。
幸か不幸か風はそこまで強くなく、飛ばされる程ではない。
ただ普通に雨がかかる。足なんかは軽くびしょ濡れだ。雨の日恒例、脇を通った車が水溜りを思いきり跳ねてその水が勢いよくかかった。軽くブルーだ。

頭上では雷がごろごろと唸っている。雷の中普通に歩く女の子ってどうなんだろうか。こう、「いやん、怖いわ!」みたいなノリで身を縮めて歩いた方が可愛げがあるのだろうか。うーん、私には無理な技だ。

駅がだんだん見えてきた。改札の手前で雨宿りをしている人達がちらほら見える。
その人たちの中に見知った影を見つけて、迎えに来たことは間違えじゃなかった、と再確認した。ねえ、忍足さん。

忍足さんは困ったように雨を見上げ、もう少し待てば少しは静まるのか、それとも走って行ってしまおうか迷っているように見えた。

一刻も早く忍足さんの下へ行きたい。その思いからのろのろ歩いていたのを小走りに変える。
ぱしゃぱしゃと音を立てながら、ゆっくり手をあげる。
忍足さんはそんな私に気づいたのか、驚いたように目を丸めた。


「・・、?」
「あはは、やっぱり迎えに来て良かったです」
「あ〜・・ごめんな」
「忍足さん忍足さん、『ごめんな』、じゃあないですよ」
「・・おおきに」


目を細めて、少し困ったように忍足さんは笑った。それです、と私も笑いかけながら忍足さんの紺色の傘を渡す。
忍足さんはもう一度おおきにと微笑んだ。


「帰りましょ、忍足さん」
「ん。帰ろか」


忍足さんと一緒に傘を広げ、もと来た道を戻っていく。
雨の所為か会話が途切れ途切れになってしまうが、それでも何だか忍足さんと歩く雨の道は心地よかった。

歩いて行く中、忍足さんがそっと私の左側に移動した。道路側の道だ。


「・・?」
「車、危ないしな。雨の向きもこっちのが強い」
「ああ!・・ありがとうございます」


お礼を述べると忍足さんは「どういたしまして」と言う代わりに静かに笑みを浮かべた。
やっぱり忍足さんは気が利く人だ。小さい頃お兄ちゃんと道を歩くと、お兄ちゃんも危ないからって道路側に行ってくれたっけ。忍足さんはお兄ちゃんみたいだなあ。


、こっちの道行かん?」
「あれ?家の道そっちでしたっけ」
「少し遠回りになってまうんやけど、雨弱まってきたし。見せたいもんがあんねん」


気がつけば雨足は強弱はあるものの、大分弱まっているようだった。
特に用事がある訳でもないし、何も問題はないだろう。
そのお誘いに快く了承し、いつもと違う道を歩く。


「・・わあ」


しばらく歩くと、見えてきたのは巨大な・・家?家・・というよりは、ホテル?宮殿?よく分からないが、その建物の周りには紫陽花が色鮮やかに咲き誇っていた。紫色、青色、白色。その量といったら見事なもので、思わず立ち止まってしまった。


「な?凄いやろ」
「・・綺麗!凄いですね!ここ、植物園か何かですか?」
「ハハ、植物園言うた奴は初めてや。ここ、俺の友達ん家」
「え゛」


ちょ、家にしては面積広すぎないか!?忍足さんの学校といい、友達の家といい、普通じゃあないぞ!・・もしかしてこっちの世界では普通なの!?いやいや、それはないだろう・・って、これ本当に家なのか。信じられない。


「そ、相当のお金持ちなんですね」
「そや。有名な財閥の息子。毎日ベンツで通学や。台風なんかの時はよく乗せてもらってる」
「そんな人本当にいるんですね・・。あれ、今日は?」
「こいつ、パーティーかなんかの用事があるらしくてはよ帰ったで」


パーティー!?
今時パーティーなんて本当にあるのか!それにここ日本だぞ!?
・・別の世界だ。次元が違いすぎる!


「まあとにかく、こいつん家の周りは季節によって花が入れ変わんねん。今の時期は紫陽花やな」
「見事ですよね!凄いなあ・・」
「いつやったかな。バラの時もあったで」
「ばばばばばばら!?趣味悪いんじゃないですか!?」
「あはは!本人に言うてやり」


だって、よく考えてみてほしい。
家の周りにバラだぞ!?ここは異国の地かと問いたくなってしまう。
バラだぞ。もう一回言うがバラなんだぞ。とげとげしているんだぞ。近隣の方に悪趣味と思われても仕方ない。
・・いや、すでにこんな巨大なお家を持ってる時点で普通の人ではないか。


「ま、喜んでもらえて何よりや。て言うても俺の家やないけどな」
「ううん、凄い嬉しいです。ありがとう、忍足さん」
「(・・・今の笑顔・・・・っ!)」
「ん?」
「あ、い、いや、どういたしまして」


そう言って忍足さんは慌てて俯いてしまった。頭をがしがしと掻く姿は照れてるようにも見えて思わず笑ってしまう。忍足さんは自分から誘うくせに照れ屋さんなんだなあ。ピュアボーイだ。・・なんて私も人のことを言えたような経験はしていないが。

帰ろか。忍足さんが言葉を紡ぐ。
帰りましょっか。私もそれに返事を返す。

もう一度2人で並んで歩き出す。やっぱり雨は嫌いじゃない。そして、


「(手、とか・・繋いだらアカン・・かなあ)」
「(それにしても凄いな、あのお家)」
「(あ、アカンアカン!!あかんよな!!あ゛〜・・)」
「(梅雨が終わったら紫陽花じゃなくなるのかな。見に行ってみよう)」


忍足さんといるなら尚更だ。



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