クリーニング屋でアルバイトをしていて良かった。最近は、本当につくづくそう思うのだ。

ぞうさん公園での事件以来、私は以前よりも帽子や眼鏡をかけることに余念がなくなっていた。・・逆に、堂々としていればバレないのかもしれない。仮に気付かれたとしても、「あれ?似てるなあ」程度で終わるのかもしれない。しかし、だ。肝心の本人、私には町を素顔で堂々と歩く勇気がないのだ。ぞうさん公園の事件以来、なんというか「」だと気付かれてしまうのがトラウまになってしまった。笑うがいいさ!私はチキンなんだ!

そんなこんなで、話は戻るわけだが。
クリーニング屋というのは、大抵やってくるのは主婦の方々だ。まあたまにお使いを頼まれたであろう小学生の方や、スーツを取りに来る大学生位の方も来ることは来るが。まあ、9割方は奥様な訳なのである。

奥様は子育てや家事(あるいはパート)に忙しく、テレビをじっくり見ることなんてことはないだろう。特に晩ご飯の支度に忙しい、夕方。わ、私が出演・・、しているアニメ、『アガインド!』が放送される、夕方。
第一奥様がアニメを見るなんてことはないのだが。

そのおかげで、うちのお店にやってくる大抵のお客さんは私を『』とは知らない訳で、バイト中は余計な心配をしなくても済む。

もしお客さんの層が若いコンビニやファミレスで働いていたら・・間違いなく、私はビクビクしながら毎日を過ごしていたことだろう。


ちゃーん。お疲れ様、今日はもうあがっていいよ」
「あ、お疲れ様です。ありがとうございました」
「いーえいえ」


そうして今日もバイトが終わった。
帰る支度を整え、優子さんと三瑚ちゃんに挨拶をして外へ出る。
くそう・・最近はどうしてこんなに暑いんだ。梅雨はとっくのとうに過ぎ去り、8月真っ只中の特有の暑さが私を襲う。
こう・・じめじめ、というか。さっぱりした暑さがいいよね、どうせなら。


「(・・夏だなあ)」


私は夏が好きだ。夏っていうだけでなんだかきらきらしていて、なんとなく切ない気持ちになってくる。これは季節の移り変わりがはっきりと感じられるからなのだろうか。とにかくなんだか、きゅっと胸がしめつけられるような感覚に陥る。


「(そういえば・・薔薇の人のお家の花壇は、変わったのかな)」


初めて薔薇の人の花壇を見た時、そこは辺り一面紫陽花が咲き誇っていてとても美しかった。
忍足さん曰く、季節によって咲いている花は変わるそうだが・・今の季節はどうなんだろう。
実は、あれから薔薇の人のお家の前を通ったことがない。薔薇の人のお家は中々通らないところにあるので、行く機会が滅多にないのだ。


「(久し振りに、行ってみようかな)」


まだ時刻は5時か6時といったところだろう。忍足さんも帰ってきていないだろうし、ちょっとくらい寄り道しても大丈夫な筈だ。

歩く方向を変え、薔薇の人の家へと向かう。あの紫陽花は本当に見事なものだったなあ。1つ1つの花が綺麗に咲き誇っていて、とても美しかった。
・・それにしても、もしかしてその花の季節が終わるごとに全部捨てて、新しく苗を植えるのだろうか。
待て待て、普通の家の庭ならまだしも、薔薇の人のお家は相当大きい。その大きな花壇全部を・・。


「(やっぱり、住むところが違いすぎる・・!)」


別に忍足さんの家が貧乏と言っている訳ではないのだが、なんていうか・・もはや次元が違うのではないだろうか。

そうこうしているうちに、薔薇の人の家が見えてきた。
遠目でも分かる。あの太陽がよく似合う黄色い花は――


「ひまわりっ・・!」


うわ、思わず声が出てしまった。

薔薇の人の家は、元気に太陽に向かって伸びている向日葵で囲まれていた。わー、テンションあがってくるなあ!

紫陽花が植えられていた時はどこかしっとりした雰囲気を持っていた薔薇の人のお家。だけど今は明るく、爽やかな雰囲気を持たせている。庭とかで爽やかな青年とラブラドールが仲良く遊んでいそうである。


「(わー・・!)」


いいなあ。ここに住んでいる人は幸せだろうなあ。

花壇に近寄って向日葵を近くで見てみる。・・虫なんてもちろんついていないし、かすかに良い匂いがした。なんだ。くそう、どんな薬を使ったんだ!素敵過ぎるぞ!


「――向日葵、好きなのか?」


不意に後ろから聞こえてきた声に、思わず体が小さく跳ねた。
おそるおそる後ろを見ると、学校帰りであろう制服姿の青年が立っていた。・・この制服、どこかで見たことがある気がする、・・気のせい、だろうか。


「えと・・す、好きです」
「・・そうか」


そうか、ってなんだこの人!急に声をかけてきて、挙句「そうか」って!一体なんの意図があるんだ。怖すぎる。

思わず身構えると、それを見た青年はふっと鼻で私を笑った。・・失礼な人だ!
しばらくその状態でいたのだが、青年と私の間になんだか気まずい沈黙が流れた。仕方なく、私は青年に言葉を紡ごうと口を開いた。くそう、なんで私が不審者に気を使わなければならないんだろう。


「そういえば・・このお家、頻繁にお花が植え変わるそうですよ」
「・・」
「私が前来たときには、紫陽花だったんです」
「・・どうだった」
「綺麗でしたよ。すっごく」


ああ、あの綺麗な風景を思い出すと自然と頬が緩んでしまう。本当に綺麗だったなあ。
私のその様子を見たのか見ていないのかは分からないが、青年はどこか満足気に微笑んだ。・・改めて見ると、なかなかかっこいい青年である。10人中10人が「かっこいい!」と叫んでしまいそうな、その位整った顔をしている。
もし私が男に生まれたら、こんな顔で生まれてきたい。絶対世界が変わる!


「ここに住んでる人、絶対幸せですよね」
「何故そう思う」
「(なぜ・・)だってこんな綺麗な花に囲まれてますもん」


世界中の女の子に聞けば、絶対みんな「こんな家、一度でいいから住んでみたい!」と言うだろう。現に私だって住んでみたい。・・なんだか広すぎて迷子になりそうだが。


「・・当の本人は、どうだろうな」
「うーん、どうでしょうね・・あっ、そうそう。でもここに住んでる人、ちょっと趣味悪いと思うんですよ」
「あ?」
「一時期薔薇を植えてたらしいですよ!ちょっとホラーじゃないですか?薔薇とか!怖いですよ!私その印象が強すぎて『薔薇の人』って呼んでますもん。ここの住人」
「・・おい、お前」


やばい、ちょっと喋りすぎたか!
そう思うも、時は既に遅し。少し怖い声を出す青年を見ると、青年は絶対零度の笑顔で微笑んでいた。怖いよ!なにその笑顔!なんで青年が怒るんだ!


「黙って聞いてりゃあ失礼な女だなあ、アーン?」
「え゛っ!」
「目の前に、『薔薇の人』がいるってのになあ?」
「えぇっ!!?」


ぼきぼきと指を鳴らし、「てめぇどこ中だー」と聞かんばかりの勢いで徐々に青年は距離を縮めてくる。

ちょっと待ってくれ!この目の前にいる青年が、『薔薇の人』!?忍足さんが言ってた・・えっと・・『跡部』だったっけ。その人!?


「とりあえずテメェ、どこ中だ」
「(きたーー!!!)」


突っ込みどころが多いがとりあえず言っていこう!私は中学生じゃないからな!
じりじりと1歩1歩寄って来る薔薇の人に、私も1歩ずつ後ろへ下がる。
・・も、う 無理だ!!


「す、すみませんでした!!」
「あ゛っ!待ちやがれ失礼女!!」


今時「待ちやがれ!」なんて使う人初めて見た!
勢いよく駆け出し、人ごみのある方へ逃げる。後ろから怒声が聞こえるが人をよけてなんとか逃げ切り、慌てて裏の路地へと入り込んだ。ここまで来れば大丈夫だろう!

忍足さんに「跡部は口悪いし乱暴やで」と聞いていたが、まさにその通りだった。
結構あれ、私にも非はあったが・・ごめんなさい、すみませんでした薔薇の人。

とりあえず、もうあの人には会わないようにしよう。


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