「忍足さん、忍足さん!」
「ん?なんや?」


コーヒーを片手に雑誌を読んでいる忍足さんの前に、『お祭り開催!』のチラシを突き出す。そうなのだ。これは常連の奥様に貰ったチラシであり、ここから少し離れた商店街でお祭りが行われるらしい。その奥様の旦那様がお祭りの役員で、私にも「よかったら来てね」とチラシをくれた訳だ。


「お。お祭りかあ」
「えへへ。行きませんか」
「ええな!行こうか!」


にこっ、と笑う忍足さんを見て思わずやったー!と声を出す。もう夏も終わりかけだが、夏の風物詩といえばお祭りだろう!ああ、わくわくする。どんな屋台が並んでいるんだろうか。お好み焼きは売っているんだろうか。チョコバナナは勿論あるよね!ああ、楽しみだなあ!

妄想を膨らませていると、忍足さんが静かに笑った。


「・・?なんですか?」
「いや、随分と楽しみにしとるなあと思って」
「当たり前じゃないですか!えへへ、楽しみだ」
「(かわええなあ・・)」


忍足さんは目を細めるようにして微笑んだあと、私の持っていたチラシを受け取った。そしてチラシに目を通すと・・なんだか、少し困ったような顔をした。


「どうかしました?」
「あー・・いや、この日2日とも練習試合なんよ・・普段の練習より確実に長引くから、間に合うかどうか分からへん。・・ごめんな、
「あ、そうなんですか・・。全然良いですよ!部活なら仕方ないです。お祭りは来年もありますしね」
「や、でもダッシュで帰ってくるから!お祭り、行こう。な?」
「あはは、無理しなくてもいいですよ」
「いや、絶対間に合わせて見せるわ」


いつになく真剣な表情になる忍足さんに思わずふきだしてしまう。そこまで真剣に考えてくれているなんてやっぱり忍足さんは良い人だ。笑ってしまった私を見て、忍足さんは「ほんまやで、ほんま!」とさらに難しい顔をして言うものだから、私の笑い声は更に大きくなってしまうのだった。



*  *  *



ふふん。
今日は待ちに待った忍足さんとお祭りに行く日だ。なんだかんだ言っても女の子はお祭りが大好きなのであって、例外なく私もお祭りが大好きな訳で。

袖をそっと持ち上げて鏡の前で半回転してみせる。帯の後ろにささったうちわが可愛いらしい。

そう、なにを言おうと今の私は浴衣を着ているのだ!

優子さんに今日のお祭りに忍足さんと行く旨を伝えると、優子さんはにっこにこしながら自分のお古の浴衣を私に着せてくれた。自分の娘に着せるのが夢だったそうなのだが、なんと私に着せてくれたのだ。あれはかなり感動した。

優子さんが着せてくれた浴衣は黒を基調とした、シンプルな浴衣だ。下の方から薄いピンクや黄色や赤色の花が美しく咲いていて、とても美しい。そんな浴衣が私に似合うかなんていうのは・・聞かないでいただきたい。・・自分では、普通だとは思う。思う、けど・・ううう。

優子さんは折角だから、と私に薄い化粧も施してくれた。そんな見違えたように変わってはいないのだが、やはり鏡に映る自分を見てわくわくしてしまう。ああ、早く忍足さん帰ってこないかなあ。

時間は刻一刻と進み、もうすぐ時計の針は9時を指そうとしている。・・大丈夫だよね。忍足さん、お祭りに間に合うよね・・?家の電話は1回も鳴らないせいもあってか、時計の針が進む度に私の胸の中にある不安はどんどん大きくなる。

ああ、もう駄目かな。浴衣、脱いじゃおうかな。

忍足さんが家に駆け込んできたのは、そんな時だった。


っ!・・っはぁ、待たせて、ごめんな・・っはぁ」
「忍足さん!」
「行こう!お祭り!」
「はいっ」


思わず頬を緩めて忍足さんを見る。忍足さんは膝に手をつき荒く呼吸を繰り返していた。きっと言葉通り、全速力で帰って来てくれたのだろう。嬉しいなあ。
忍足さんはふぅ、と大きく深呼吸をすると、私の姿を見て――固まった。


「・・お、忍足さん?」
「(なんやこの浴衣姿!!)」
「・・あの、えと・・」
「(か・・可愛い・・っ!!どうしよう、俺、やばいって!)」
「変、ですかね・・?」
「は!?ぜ、全然!似合っとる!ちょっと見とれてただけや!」
「見とれて、た・・?」
「あ、いや・・その、」


可愛いなあと、思って。
下を向いてそう呟いた忍足さんに、思わず私も俯いてしまう。は、恥ずかしい。可愛いなんて言われるとは思わなかった。すごく恥ずかしい。だけど、すごく嬉しい。忍足さんにそう思ってもらえたこと、とっても嬉しい。もしかしたらお世辞かもしれないけれど・・いや、お世辞だって嬉しい!


「・・行こか」


耳まで朱に染めた忍足さんが、少しそっぽを向きながら私に手を差し出す。


「・・はい」


その手にそっと自分の手を重ねる。忍足さんの手はひんやりとしていて気持ちが良かった。
忍足さんは私の手を握り返し、にかりとはにかんだ。



*  *  *



「やっぱりもう、全然人がいませんね」
「せやな。もうお祭り終わりの時間やし」
「お店まだやってるかなあ」
「・・やっとると、ええなあ」


ほんま、遅れてごめんな。
忍足さんは困ったように笑った。ああ、また忍足さんに気を使わせてしまった。全然気にしてないことを伝えると忍足さんは更に困ったように笑う。本当に気にしていないのに。お祭りがもう終わったとしても、今ここに忍足さんと2人でいることが大切なのだ。多分。

しばらく歩くと、屋台の明かりが小さく見えてきた。どうやらまだお祭りはやっているらしい。私は忍足さんと顔を見合わせ、安堵の溜息をついた。


、どこ行こか」
「とりあえずお腹減ったんで・・たこ焼きとかお好み焼きとか!チョコバナナも良いですね!」
「はは。1つずつ行こうな。あ、お好み焼き屋発見」


忍足さんが指差した先には「おこのみやき」の文字を掲げた屋台があった。その中ではおじさんが屋台の後片付けをしている。ぎりぎりセーフ、だろうか。


「おじさん、まだお店やってますか?」
「やってるよ」
「じゃあー・・1つください」
「あいよ。あー・・もう売れ残りだから2個あげるよ。値段は1個分で良いから」
「ほんとですか!?」
「ほらよ、兄ちゃん。彼女と2人で仲良く食べな」
「おおきに、おっさん」


お金と引き換えに2人分のお好み焼きを受け取る忍足さん。あれ。今のおじさん、私のこと『彼女』っていった気がするんだけど。気のせいかな。そして忍足さんもそれを訂正する様子がないんだけど。・・やっぱ私達、カップルとかに見えちゃうんだろうか。うう、忍足さんに悪いなあ。私なんかとカップルに間違えられて申し訳ない。

その後のたこ焼き屋でも、チョコバナナ屋でも、売れ残りだからということで半額にしてくれたりおまけをくれたりしてくれた。
遅くに来た所為でお祭りの雰囲気は楽しめなかったのだが、これはこれでありなのかもしれない。なんだろう、心がふわふわあったかい。・・これは多分、隣にいる忍足さんのおかげなのかもしれない。


「・・、
「はい?」
「また来年も、来ような」


そう言って、忍足さんはどこか寂しげな顔で笑った。
・・私は来年の今日も、まだここにいるんだろうか。1年後の私は、一体どうなっているんだろうか。先は真っ暗で不安だらけだ。でもきっと、忍足さんが傍にいるなら大丈夫な気がするのだ。これだけは私の胸の中で変わらない事実だ。

――忍足さんと、初めて手を繋いだ日。
そんな、夏の終わりの日。


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