「あらやだ!あの子ったら!」


優子さんが素っ頓狂な声をあげたのは、ゆっくりと時間の流れる土曜日のお昼のことだった。
どうしたんですか?驚いて声をかけると、ひどく困った様子で優子さんは手に持っていた携帯を私の方に見せてきた。

優子さんの携帯のディスプレイには、差出人:芥川慈郎の文字が映ったメールが開かれていた。

『合宿の申込書忘れた!部活はじまるまえに提出しないとグランド30周!とどけにきて!おねがい!!』


「届けに行ってあげたいのは山々だけど・・今日大切な電話がかかってくるからお店にいなきゃいけないし・・どうしましょう」
「慈郎くん、部活何時から始まるんですか?」
「今日は土曜日だから、2時からね」
「えーと・・今12時だから・・十分間に合いますね!私、行きますよ!」
「ああ、ごめんね、ちゃん!慈郎になにか奢らせていいから」
「あはは、そんなの!お安い御用ですよ」


優子さんがお店を空けれないとなれば、ここは当然私の出番だろう。優子さんのお役に立てるなら私はなんだってする!優子さんにはお世話になりまくりだし!
ごめんね、ごめんねと口々に謝る優子さんに胸を叩きながら言う。「任せてください!」

グランド30週なんて、ありえない桁だが厳しいと噂のテニス部ならきっと本当に走らせるのだろう。しかも氷帝学園のグランドって・・恐ろしく広かったよね、確か。私が走ったらきっと3週でへばってしまいそうな、そんな大きなグランドだ。


「じゃあ、行ってきます。届けたらすぐ帰ってきますね」
「本当に、ごめんね。よろしくお願い」
「いえいえ!優子さんのお役にたてるなら!」


そう言って手を軽く振りながら帽子を被り、扉を開けて、芥川家の自転車にまたがる。ここから駅までは少し時間がかかるのだ。善は急げ。早く届けた方がいいだろう。


・・自転車を漕ぎながら思いました。



「(あ、あれ・・?私、なんか今からすっごい危険を冒そうとしていないか・・!?)」

 

*  *  *


もしかして私って救いようのないバカなのかもしれない。この世界に来てそれなりに用心深くなったし、常識だって持ち合わせている筈なのに。

うわ、なんか涙でてきそう。

ぐっと下を向いて膝の上で洋服をぎゅっと握り締める。
私、バカだ!自らひょ、氷帝学園に・・、忍足さんの学校に!行くなんて!慈郎くんと同じテニス部なのだから、きっと部活が始まるまでは一緒にいるに違いない。すると、必然的に慈郎くんに書類を渡そうとすると忍足さんにも会ってしまう訳で!忍足さんは私が学校に来るのを酷く嫌がっている訳で!し、しかも!テニス部には確か薔薇の人もいるのだ!一生会わないようにしようと誓った薔薇の人が!うわああああ、どうしよう!忍足さん、私が薔薇の人や慈朗くんと認識があるって知らないだろうし・・か、考えら怖くなってきた!

おちつけ。落ち着いて考えるんだ
・・そうだ!慈郎くんを、警備員の人に呼んでもらえば良いじゃないか!きっとあの学校はセキュリティーが高いから、校内に入る前に警備員の人になにかしら聞かれる筈だ。その時に慈郎くんを呼んでください、と。そう言えば良いじゃないか!

そう考えたら気持ちが軽くなってきた。うん、大丈夫だ。要するに私は、校内に立ち入らない様にすればいいのだ。


「(よし、さっさと届けて、さっさと帰ろう。それに尽きる!)」


洋服を握っていた手を少し緩め、帽子の裾をきゅっと掴む。気をつけることと言えば、私が『』とバレないようにすればいいこと位だろう。


*  *  *


ちゃっちゃちゃーちゃーちゃーちゃーちゃーちゃー。

気分は列の先頭を歩く某有名RPGゲームの勇者である。そうさ、なにも怖がることはないのだ。堂々としていれば、変に視線を受ける必要もない。

その証拠に、すれ違う氷帝の生徒達は談笑しながら歩いていて、私を気に留める様子なんてこれっぽっちもない。よし、この調子だ。この調子で警備員さんの近くまで行って、慈郎くんに書類を渡してもらえればいい。


「あの、」
「はい、どうなさいましたか」


玄関の、大きな扉の前に立っている警備員さんにそっと声をかける。


「ええと、1年の芥川慈郎くんの忘れ」
「ああ!様でいらっしゃいますか?」
「(え!?)あ、はい」
「優子様からお聞きしています。どうぞ、中へお入り下さい」
「(えええええええ!!?)」


優子さあああん!!!!
あなたの好意がこの時ばかりは悪意に満ちた行為にしか見せません!私の計画が!粉々に!!
いや、まだ諦めるな私!そうだ、呼んでもらえばいいんだって!


「あの、よければ慈郎くんを」
「ああ、とんだ失礼を致しました。只今の時間ですと・・おそらくテニス部レギュラーの部室にいらっしゃると思います。ご案内しますね」
「え゛!いや、悪いですし!」
「いえいえ、お気になさらず。これが私の仕事なのですがら、お安い御用です」
「(もう後には引けない感じなのかこれー!!!)」


この警備員さんさあ!人の話を最後まで聞く癖つけた方がいいと思うのはきっと私だけじゃないよね!?


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