ちゃん・・・どういう、こと」


眉をきゅっと寄せ、慈朗くんはテニスバックを背負ったまま私に問い詰める。
・・部活が終わった慈朗くんのお出ましだ。

あれから私は特に追及されることもなく無事優子さんの下へ帰ることができた。それからどう説明すればいいんだ、と悶々と時を過ごし今に至る。まずは慈朗くんに説明をつけなければならない。

あの時の慈朗くんの機転の効いた台詞にはとても助かった。まずそのことについてお礼を言うと、慈朗くんは不機嫌そうな顔をして「べつに、いい」とぼそりと呟いた。あれれ、お怒りでしたか。そりゃそうか。


「えっとね、うん、実は・・忍足侑士は、私のお兄ちゃんなの」
「だって君は”って言って」
「うん。私にとって”忍足”は旧姓。親が離婚しちゃって」
「・・・。年齢は?俺と同い年って言ってたよね」
「うん。双子なの。二卵性双生児ってやつ。・・今は両親が離婚しているけど、訳があってお兄ちゃんと2人で暮らすことになってね。それで私は、前にも話した通り通信制高校に通って――」


私が私なりに出した結論。それは、慈朗くんに本当のことを言うべきではない、というものだった。
本当のことを話したところで、普通信じてくれる訳がない。多分慈朗くんは『アガインド』という作品を知らないだろうし、言ったところで混乱が増すだけだ。

ならば、余計な混乱を招くよりは嘘を言ってこの問題を落ち着かせてしまった方がいいだろう。それが、私のだした結論である。


「・・ちゃん」


全部話し終えたところで、慈朗くんがようやく顔をあげて私を見つめる。慈朗くんの綺麗な瞳は、私の嘘を見抜いてしまうようで怖かった。逸らしたくなる衝動をぐっと抑えて私も慈朗くんを見つめ返す。


「俺、今は何も追及しない。追及もしないし、なにも言わない」


慈朗くんが、ふわりと笑った。


「でも、もしちゃんが辛くなったりしたら、話聞いてほしくなったら、俺はまたちゃんの話を聞くよ」


ね。と後押しするような音を漏らして、慈朗くんは優しく、慈しむようにそっと笑った。

その瞬間、言葉に出来ないような罪悪感が私を支配する。
こんなに優しい慈朗くんに、私は嘘をついてしまった。これは、彼を信用していないと公言してしまったのと同じだ。ああ、もしかしたらとんでもない過ちを犯してしまったのかもしれない。

もちろん慈朗くんは私の話が嘘だ、なんてことは一言も口にはしていない。けれども慈朗くんは、きっとすべてを見抜いているのだ。


「さー俺は少し寝るかな〜すっごい眠たいC〜」


んんん、と大きく伸びをして慈朗くんは私に背中を向ける。


「慈朗くんっ!」


慈朗くんには、本当のことを話すべきなのではないだろうか。
彼なら混乱しつつも、きっと受け止めてくれる。


「ん?どうしたのー」


ああ、私はなんて、臆病者なのだろう。


「〜っ、なんでもない・・」


いきなり呼びかけた私に、慈朗くんはどんな顔をしているのだろうか。
それさえも見るのが怖くて、私は俯いてぎゅっと目を瞑る。

すると突然、頭の上にふわりと何かが触れた。温かくて、大きな、慈朗くんの手のひらだ。
慈朗くんはそっと私の頭を撫でた。


「あんまり、気にしないで。俺は全然平気だよ」


そしてぐしゃぐしゃに頭を掻き混ぜた。頭上で、慈朗くんが静かに笑った音がした。


徐々に小さくなっていく足音と気配を確認して、私はぼろぼろと泣き始めた。
私が泣いてたら卑怯なのに。ああ、お願いだからはやく止まってくれ、涙。



*  *  *


『もしもし、忍足?』
「ああ」


部活が終わり帰宅した自分だが、どうやらはまだバイト中らしい。しかしもう夜と呼んでもいい時間帯だ。きっとあと1時間もしない内に帰ってくるだろう。

もやもやした気持ちを落ち着かせるようにテレビをつけて見始めるが、思考はどうしてもの方へ向かってしまう。帰ってきたら色々聞かなくてはならないだろう。

そう思っていると、突然携帯が鳴り響いた。着信相手は慈朗だ。言いたいことはなんとなく分かる。とりあえず、と俺は電話に出ることにした。


『あのさ、単刀直入に言うけど、ちゃんのこと』
「・・なんや。ほんまに単刀直入やな」
『だって忍足回りくどいの嫌いだろー』


電話越しに不機嫌な声を出す慈朗。
やはりか、と思いながらも受話器に耳を傾ける。

が部室を去ったあと、俺たちは一言も会話を交わさなかった。
お互いどういうことだ、と混乱していたのもあったのだろう。話し合う気には到底なれなかった。


『・・さっき、俺、ちゃんにどういうことだって聞いてみたんだ』
「・・ああ」
『一応話は聞いた。まあもっとも、俺が聞いた話が本当かは分からないんだけどねー』


いったいは本当のことを喋ったのだろうか。それとも嘘をついたのだろうか。
嘘をついた、というのは人聞きが悪い。だけれども、この場においては”ついてもいい嘘”になるだろう。なにしろ彼女の存在は異色だ。


『それで、よく分かんないけどさ・・ちゃん、すごい辛そうにしてたんだ』
「・・・」
『だから・・俺が言うのも変だけど、ちゃんのこと、あんま追及してやんないでほしい』
「・・・」
『多分元気に振舞うと思うけど、すごいダメージ受けてると思う。・・だからさ』
「・・俺かて、を傷つけるような真似はしたくない。・・そこまで言うんやったら、追及はせんよ。でもいつかは話さなあかんやろ、俺とと、慈朗3人で」
『そうだよな。でも、ちゃんが自分から話すまで・・この話は保留にした方がいいと思うんだー』
「・・せやな。今話して追い詰めることになったら、嫌やし」
『良かったー。分かってくれて。・・・じゃあ俺ご飯食ってくるから、また明日な!』


――慈朗の言っていることはきっと正論だ。間違ってはいない。
いつもは気丈なだから、揺れるときはとても不安定になる。そこをさらにぐらつかせては、また以前の二の舞だ。もう彼女のことを傷つけたくはない。その思いは、変わらないけれど。

もやもやした感情が、さらに強くなってぐつぐつした感情になってくる。ああ、この感じは久しぶりだ。


「・・忍足さん、ただいま」


この感情は、きっと生きていく限り人間が持ち続けるものだろう。誰でも1度は感じたことのある、この気持ちだ。


「お帰り。・・
「はい・・」
「・・ぷっ、そんな気負わんでえーよ。バイト先が慈朗んとこやった。これはあってる・・よな?」
「・・はい。黙っててごめんなさい」
「謝る必要はないやろ!それだけ分かれば十分や!ほな、夕飯にしよか」
「・・はい!」


嫉妬、束縛心。自分や誰かを苦しめるだけの感情。


「忍足さん、ありがとうございます」
「えーよえーよ」


俺はそんなものは不必要だと、無理やり心の奥に押し込んだ。


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