今日は土曜日だが、私立に通う忍足さんは普通に学校があり、かく言うわたしもバイトがある。忍足さんがいつものように出かけて、数時間後に私も優子さんのお店へ。これは毎週の出来事で、特に変わったことではない。 はずなのだが。 街をゆく女の子たちの様子が、どこかおかしいというか。ほとんどの女の子が、片手に紙袋を持って歩いている。そして近くのコンビニには『大切なあの人への贈り物!――チョコレート!』と大々的な広告が。 そうだ、今日、バレンタイン! なぜ当日まで気がつかなかったのだろう。そういえば今朝の忍足さんも心なしか落ち着いていなかったような・・気がしない訳でもないが・・うーん、忍足さんはやっぱりいつもと変わらなかったかな。 ・・この乙女イベントに、私は参加するべきなんだろうか。 いつも忍足さんにはお世話になっているから、何か贈り物をするべきなのかな。・・コンビニで買ったチョコとかは少し失礼だよね。やっぱり手渡すなら手作りか。 かといって特段料理が上手いわけでもない私につくれるお菓子なんて・・ゼロに等しい。お菓子作りなんてしたことがないぞ。 「(どうしよう。・・あ、)」 悩んでいると、とある人物が頭の中に浮かび上がる。 ――料理のことで困ったら、この人しかいないだろう! * * * 「あら、それなら調度良いわ!これから私も作る予定だったから、良かったらちゃんも一緒に作ろうか」 「えっ本当ですか!?」 「うん。毎年余裕を持って作ってたんだけど、今年はちょっと忙しくてね・・当日作ることになっちゃったんだけど」 「・・なんか、毎回すみません」 「いいのよいいのよ!ちゃんはもう、うちの娘みたいなもんだもの!」 ふわりと笑う優子さんに涙が出そうになる。こんな良い人、中々いないよ!優子さーん!と思わず抱きつくと、優子さんは「あらあら」と笑いながら私の頭を撫でてくれた。元の世界のお母さんも大好きだ。でも優子さんも、母親としてすごく大好きだ。 「ちゃんのあげる相手は、甘いもの大丈夫?」 「うーん・・大丈夫だと思いますけど、そこまで好きじゃないかもしれないです」 「そっかあ、・・実はね、ティラミスを作る予定なの。うちの人も、三瑚も慈朗も、甘いものが好きだからね。でもそのティラミスにいれるコーヒーをエスプレッソにして苦めにしたら、さっぱりした味になると思うの」 ほうほう、そもそもティラミスにコーヒーをいれるなんて知らなかった。どれだけ無知なんだろう、私。 とにかく土曜日のお店はいつもより少し早く閉まる。その早く閉まった分の時間をティラミス作りに充てよう、と優子さんは提案した。もちろん私には異論はない。優子さんの指示をよく聞いて、失敗しないように作れるといいのだが。 * * * 湯せんの際に水分を入れてしまいそうになったり、泡立てるコツがなかなかつかめなかったり、色々危ない面もあったが、 「でっ、できたあ!」 「やったね、ちゃん!」 「優子さんのおかげですよー!!うわあん、優子さん大好きです!」 「うふふ、よく頑張ったね」 透明のカップに入ったティラミスは、自分の目から見ても中々の出来だった。形を崩してしまうため最後の味見は出来ないが、固める手前に味見をしたら甘すぎず苦すぎず調度良い味だったので、破滅的に不味いということはないだろう。あとはこのティラミスにラッピングを施すだけである。(ちなみにラッピングの袋等はティラミスを固めている間に買ってきた。ピンクや赤のハートが散りばめられた、可愛いらしい袋とリボンである!そして『忍足さんへ』と書いたメッセージカードもいれた!準備は万端だ!) 忍足さん、喜んでくれるかな。なんだか渡すの緊張するなあ。 「優子さん、今日はありがとうございました」 「いいのいいの。また一緒にお菓子作ろうね」 「はい!――あ、慈朗くんにもよろしくお願いします」 「うん。ちゃんが作ったって聞いたら、きっと喜ぶわ」 「そんな!私は優子さんのお手伝いしただけですよ!」 そうなのだ。慈朗くんにあげる予定のティラミスは、練習というかそんな感じのニュアンスで私の手も加わっている。といっても半分も手を加えていないのでほとんど優子さんが作ったのに変わりはないのだが。 ちなみに忍足さんへあげる方は、全部私の手作りだ!優子さんの手は一切加わっていない。 「じゃあ、がんばって渡してね」 「ありがとうござ―――『がんばって』?」 「うふふ。じゃあまた明後日ね。彼の感想、聞かせてね」 「あ。はい!ありがとうございました!」 なんだか少し引っかかるが、とにかく優子さんのお家を後にする。時刻は7時半。もうすぐ忍足さんが帰ってくるだろう。それまでに晩御飯を作って(今日の当番は私なのだ)、忍足さんが帰ってきたら一番にティラミスを渡そう。・・・・ん?いや、ご飯の後の方がいいかな? うーんと悩みながら家路を辿るが、中々決まらない。早く渡したいという気持ちもあるが、やはり食事の後に出した方がデザートとしてバランスが良いのではないだろうか。 ――悩みながらもどこか楽しんでいる私が、そこにはいた。 * * * 「ただいまー」 「おかえりなさーい」 忍足さんが帰ってきた!どこか声が疲れている気がするが、平日より練習時間が長いせいなのかもしれない。 首からかけていたエプロンを外して片手に持ち、忍足さんの元へと駆け寄る。私の顔を見ると、忍足さんはやっぱり疲れた表情を浮かべながらもいつものように優しく微笑んだ。 ――――あれ? 忍足さんのポケットや、両手に持っているたくさんの紙袋から覗くソレは・・ 「・・ハハ、たくさん貰うてもうたわ」 「凄い、量ですね・・」 「全部にお返し出来る訳やないからなあ・・義理とは言え、悪いわ」 まぎれもなく、チョコレートの類のお菓子ですよね。 「少し持ちましょうか?」 「ん、おおきに」 忍足さんの持っていた紙袋を4つ程持ち、先にリビングへと向かう。頭の中はぐるぐるぐるぐる回っていて、まさかのこの展開についていけていない様だ。 そうだ、忍足さんはかっこいいんだから、たくさん貰うに決まっているのに。 ・・さすがにここまで貰うとは予想もつかなかったけど。けれども、こんなにたくさんの量――美味しそうな、お菓子の山・・。どうしよう、急に自信がなくなってきた。忍足さんのお菓子をあげてしまって良いんだろうか。負担になってしまわないだろうか。こんなにたくさん貰って、今更私のなんか貰って、喜んでもらえるだろうか。 「さすがに1人で全部は食べきれんから、夕飯の後にでも一緒に食べへん?」 「・・私が食べちゃって大丈夫ですか?」 「捨ててしまうんよりはマシやろ」 「毎年、こんなにたくさんもらえるんですか?」 「あー・・せやなあ。今年は多い方かなあ。・・でも毎年バレンタインから数ヶ月間はチョコレートの類のお菓子を見たくなくなる、っていうのが本音やな」 「そうですよね、食べるのも大変ですし・・」 「もともとお菓子そない好きやないしなあ・・」 「じゃあ、貰ってもそんなに嬉しくないですか?」 「そんなことはないで!めっちゃ嬉しいで! ――ただ、貰いすぎても困るっちゅーか・・あ、すまん。俺今めっちゃやな奴やな」 忍足さんが苦く笑いながら言葉を紡ぐ。・・だめだ、あげることなんで出来ない。 『――ただ、貰いすぎても困るっちゅーか・・』 その言葉だけが頭の中でぐるぐる回る。ずん、と心が重たくなる。あげちゃだめだ。嫌がられてしまう。そのことだけではなく、きっと私は忍足さんがたくさんのチョコをもらったことにも気を重たくしているんだろう。―それがなぜだかは分からない。喜ぶべきなのに、どうして素直に喜べないんだろう。 ・・優子さん、ごめんなさい。とてもあげられそうにはないです。 「すまん。調子のるなっちゅー話や。・・・・?」 「っ、あ、はい」 「どないした?・・気ぃ悪くしたか?」 「ん、いや、そんなことないですよ!やっぱモテると大変ですねえ!」 「はは、・・おおきにな」 いつもの笑顔を貼り付け、夕飯の支度をするために台所へ戻る。台所に入ってすぐに冷蔵庫をあけ、置いてあったティラミスを奥にぐい、としまい込んだ。こんなわがままで、優子さんと一緒に作らせてもらったティラミスを捨てることなんて出来ない。とにかく今は見つからないようにしよう。忍足さんの負担になるなら、あげない方がマシだ。 「もう出来るんで、ちょっと待っててくださいね」 「・・ん。了解」 勇気なんて、そんなもん、どこへ行ったんだろう。 BACK ↑ NEXT |