青年は私の前で息を切らして『帽子を被り、眼鏡をかけた人』のカードをばっと見せ付けた。 「ご協力、願えますか!」 その綺麗な線を描く首筋には汗が伝い、真剣な瞳は逃げもせず私を見つめる。 「は、い!」 そんな瞳に逆らえる筈もなく、私は勢いよく肯定の返事を返していた。 「よかった!ありがとうございます!」 その青年はにかりと笑い、私に右手を差し出す。その手にそっと自分の手を重ねると、ぎゅっと握り締められた。 そして若干引っ張られるように柵を乗り越え、青年と共に走り出す。 青年は私のスピードも考慮してくれているのか、先程よりはゆっくりと走り、時折私の顔を見て笑顔を浮かべた。 そのとき、ふわり、と。 不意に頭の上が軽くなった気がした。慌てて頭の上を押さえると、 「(帽子がっ、ない!)」 出かける時は必ず帽子を被っていた。なぜかって、私が『』だとバレないように。 その帽子がない。 どうしようもない不安に襲われるが、ここで止まって引き返すのもこの青年に迷惑をかけてしまう。 ――少しの間だけだ。ゴールをすれば直ぐに役員さんが帽子を持ってきてくれる。 ならば、早くゴールした方がいい! ゴールまではあと10メートルといった所か。私は足を懸命に動かした。 すると少しだけ青年とより前に出たので、少し振り返り青年の顔を見て頷いた。はやく、ゴールしちゃいましょうと。 青年は少しおどろいた顔をしたあと、直ぐにやんちゃな瞳になり頷き返してくれた。 「きゃあああ!」 「―宍――ったな!!」 「1位―――亮くん―す!」 青年と一緒にゴールテープを切る。うわ、中学の時も小学生の時も1位なんてなったことがないから、すごい気持ちいい! 遠くの方で歓声が聞こえる。この青年と同じ団からの声援なのか、青年は私と繋いでいた手を高くあげた。 「やった!あざっした!」 「い、いえいえ!楽しかったです!」 「感謝してます!」 青年は私の手をもう一度ぎゅ、っと握り締めてゆっくりと手を離した。 その間に1位の旗の後ろに誘導させられ、青年と一緒に座らせられる。 青年はしばらくニコニコしていたが、ふと思い出したように私の顔をじっと見つめた。 「あの・・失礼なんすけど、俺達どこかで会ったことありますっけ」 「え゛!あの、いや!会ったことない、です!」 ぎゃー! 通常ならば、そんなナンパの王道の言葉なんて云々と言いたいのだが私の場合は焦りの言葉でしかない。 ほ、本当なんだ!みんな、私のこと知ってるんだ!そういえばちょっと視線が痛いのは気のせいですか!「あの人どっかで見たことない?」って言葉が聞こえるのは気のせいですか! 「お帽子預かってまいりました。お嬢様ので間違いは?」 「あ!私のです!ありがとうございます!」 お嬢様ってなんなのだ!と突っ込みつつも素早く役員の方から帽子を受け取って深く被る。 青年は「ですよね、すいませんした」と頭をかきながらもそう言った。良かった、なんとかばれなかったみたいだ。 「あ゛〜〜・・」 「っ!?」 青年は頭をくしゃくしゃとかきながら下を俯く。何なんだ、次は一体なんなんだ。 色んな意味でどきどきしながらも少年をじっと見つめる。いや、睨みつけると言った方が正しいのかもしれない。 「すみません!お、お、お手をはい、拝借してもよろしいです、か」 「え?あ・・はい」 なんだ、そんなことかと安心しながら青年へ右手を差し出す。 青年を意を決したようにごくりと喉を動かし。 「ご協力、感、謝し・・、しますっ!」 「――!?!?」 なんと、私の右手に口付けを落としたのだ。 びっくりして勢いよく手を引っ込めてしまった。 青年の顔は真っ赤だ。耳まで真っ赤だ。恥ずかしいことをするんじゃない!と叱ってやりたい。どういうことなんだ、これは! 「す、すみません!借り人競争のルールで・・選手は借り人に手の平に、き、キスしなきゃいけないんすよ!もちろん、選手が男で借り人が女の人の場合っすけど!すみません!」 真っ赤な顔の早口で告げられるその言葉に思わず辺りを見渡す。 すると他の男子生徒も、同じように女性の手の平にキスを落としていた。他の男子の選手は慣れているのか、にこりと綺麗な笑みを浮かべつつやっている。(しかも、それが様になっている) 逆に女子の選手から借り人や、男子の選手から男性の借り人には・・こう、執事が主人にやるお辞儀というか。片方の手を胸にあてて、深々とお辞儀をしていた。しかもみんな、「ご協力感謝します」という言葉を添えて。 「ちょ、ちょっと吃驚したけど・・全然大丈夫ですよ」 青年を落ち着かせるために笑顔を浮かべ、ありがとうございますと口にする。 すると青年はほっとしたように笑顔を浮かべた。 「良かったー・・!うちの学校、俗に言うお嬢様学校、お坊ちゃま学校なんで・・少し、ルールとかしきたりが変なんですよね」 「あ、それ少し思いました。びっくりしましたもん、校舎の広さといい、警備員の多さといい!」 「ですよね!俺も入学したては驚きました!校舎すげー綺麗だし、周りの奴はみんな金持ちで!変な学校入っちゃったなって!」 「あはは、生徒がそんなこと言っちゃ駄目ですよ」 「だって普通に『ご機嫌よう』とか『ご機嫌麗しゅう』とか使うんすよ!?俺慣れるまで鳥肌たってましたもん!」 なんだかこの青年とはすごく話が合いそうだ。どうやらこの青年はスポーツ推薦で入った、普通の家の生徒らしい。 いやはや、スポーツ推薦って凄いなあ。でも言われてみれば確かに納得するけど。 体格はいいし、足は速いし、いかにも運動が出来そうだ。 『只今の結果――1位ルージュクラス 2位ノワールクラス 3位ブランクラスです』 「やった!」 しばらく青年とこの学校の異常さについて熱く語り合っていたのだが、不意に聞こえてきた結果報告に青年はぐっ、とガッツポーズをする。なんだか一緒にガッツポーズをしたくなってしまった。 『それでは選手と借り人の皆様は、委員に従って退場してください。』 「あ――、『ご協力ありがとうございました』!」 青年は退場門につくと、もう一度そう言って今度は深々と頭を下げた。 私はその言葉に、いえいえと顔の前で手を振り、こちらこそと頭をさげた。 きっと『ご協力ありがとうございました』や『感謝します』等の言葉は学校側からそう言えと教えられた言葉なのだろう。 だって、(言っちゃ失礼なのだが)この青年にはそんな言葉、似合ってない。ついで言うと敬語にも違和感があった。 なんだかおかしくなって小さく笑うと、青年も少しきょとんとしてから笑顔を浮かべた。 BACK ↑ NEXT |