千鳥

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  04  


名前も分からない、夢の中の人は私の中でなくてはならない人となった。毎晩、目を閉じる度に期待と緊張に襲われ、あの人に会えますようにと口の中で唱える。
彼の夢は毎日見れる訳ではないが、最近は彼以外の夢を見ない。

彼と私は、特に会話を弾ませることもなくただ2人で黙って過ごしているのが好きだった。隣り合わせに座って、ひたすらぼーっとしているだけ。時折彼がまだ此処に居るか確かめるように隣を見ると、彼は私の視線に気づくなりそっとこちらを向いて甘い笑みを見せる。
私はそれ以上のことを望まないし、彼もこれ以上を望まないだろう。ただただ、何も無い白い世界で2人で居るのが好きだった。


そして今日も、彼の居るこの世界へやって来た。
初めから彼が居る場合もある。私が彼を探す場合もある。逆に彼が私を探す時もある。今日は、私が彼を探す番らしい。

何回目かのこの世界にも段々慣れてきて、落ち着いた足取りで白を踏み続ける。
数分間歩くと、いつもの様に彼が座っているのを発見した。


「こんにちは」


思わず広がる笑みを抑えきれないままそう告げると、彼も静かに微笑む。まるで、待っていましたよ、とでも言わんばかりに。
それを確認し、私も彼の隣へと腰を降ろす。彼が隣に居るという安心感を噛み締めながら、私はこの白の世界に浸っていた。

どの位の時間が経っただろうか。彼が静かに口を開いた。


「あの歌の意味は――貴方が初め、歌っていた歌は・・どういう 意味で?」


初めて彼に会った時に、声が出ることに歓喜して口ずさんだ歌のことだろうか。
私の歌を、この人は知っている。聞いている。何だかとても、嬉しくて堪らない。


「"それは私が望んだ世界の終わりではなかった"」


小さく、息を吸い込む。


「"私がここに居ると言ってください。それだけで―。"」


再び訪れる沈黙。彼に感想を問うことも出来ないまま私は彼の反応を待つ。


「――歌って、ください」


私が、歌うことを求められている。驚きと、波を打つ鼓動を隠しきれなくて黙り込む私を、彼はどう思っているのだろうか。


「駄目、ですかね?」


挑発するような、期待しているような色っぽい笑みを浮かべられて断れる訳がない。
首を横に振ると彼は嬉しそうに目を細めた。
緊張して堪らないけれど、これ以上彼を待たせたくない。胸元を握り締め、目を瞑り、静かに息を吸い込んだ。


初めて声が出た時の感動が頭の中でフラッシュバックする。
胸が熱くなって、涙が零れそうになるのを必死で我慢して、歌を歌い続ける。
私には彼が必要で、最早彼が居ない世界なんていらない。
そう、思ってしまう時間だった。



「千の鳥より、美しい 音色だ」


これが私の声なんて、現実では分からないけど彼は確かにそう言ってくれた。


「私は、貴方が居るから歌えるんです。本当です。貴方が居なきゃ、駄目なんです」


ああ、今日の夢ももうすぐ終わってしまう。どうにもこうにも切なくて、離れたくないとばかりに彼の着物を握りしめる。
その意図を分かってくれたのか、彼は優しく私を抱きしめてくれた。暖かい。


「大丈夫、です よ」


普通の恋心とは少し違うんだろうな。依存、と言った方が正しいのかもしれない。
布越しに伝わる彼の体温は、本当に彼がここに居ると言ってるようで私を落ち着かせてくれた。
ゆっくりと彼の背中に手を伸ばし、静かに目を閉じた。


「貴方は 甘えん坊の様だ」


少し笑っている様な彼の声が、到底忘れられそうにない。



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